以出齋 | Itshoh Tse

禮以行之 孫以出之 信以成之

【韻鏡考】要項

【本文】

讀音に對し著者が特に注意を請はんとする要項

第一、音圖成立の時代 宋以來、音圖は唐末以後のものなるべく謂へるに、編中、韻鏡は隋唐以上の切韻圖の宋末に傳われるものなりと爲せり。こは唐初の武玄之が韻詮の悉曇藏に引かれたるに、既に同式の音圖ありしことの明かなるによりて推知せられればなり。(第四章、第五章)

第二、反切製作の時代 隋唐以來、反切は魏の孫炎の作といへるに、編中、反切の製作を以て後漢譯經の時に在りと爲せり。こは後漢書和帝紀李賢注に、許慎の反切を引けるをみては、經典釋文に舉げたる漢人の反切を悉く後人の所託とのみ見難きものあればなり。(第十五章)

第三、二百六韻の性質 隋初に於いて、二百六韻を定めたる所以は、詩賦押韻上の兩〔南〕北一致に在り。されば、成る可く兩者の相通を勘へ、同用を多くし、主として四聲の別を明かにし、口舌上の開合、四等に分るる真韻を合せて、一韻頭若くは數韻頭を以て、之に當て、苟も聲調を損ぜざらん限りに於いて、辭句の押韻を自在ならしむるものと爲す。故に二百六韻は、音圖の等位に現はるる、口舌上の韻の全數にはあらずと知るべし。(第十一章)1/2

第四、等位の解釋 韻鏡等の音圖の縱行横列は、猶五十音の如く、竪に同頭音の文字を次いで、横に同韻の文字を列ねたるものにして、共に悉曇に倣ひたるものなり。されば、此の横列、一も假設のものに非ずして、毎横列、特異の韻を有すべきものとす。尚其の細説は、本文に讓り、聊かここに搔い摘みて云はんに、廣韻入聲一屋に、鏃(作木切)、粥(之六切)、縬(側六切)、蹙(子六切)の四音頭あり。而して其の反切の上字は、何れも齒音の清音にして、作、子は則、臧、祖等と共に、精母の一等と四等との反切にのみ用ゐられ、側は阻、仄、莊等と共に、照(一)母の第二等の反切にのみ用ゐられ、之は章、征、少等と共に、照(二)母の第三等の反切にのみ用ゐられるること、他の清濁の齒音と共に、諸轉を通じて同例なり。斯くして二三四の三等の反切を撿するに、上字は異なれど、下字の同じきは、上字發聲の勢いによりて、聊か其の韻形を變ずるに由るにもあらんか。是等の例は、喩母に於い于、王、羽等の喩(一)母の文字を上字とするものは、下字の如何に關らず、第三等に、羊、以、悦等の喩(二)母の文字を上字とするものは、直ちに第四等に列するを法と爲すと同例なりとす。是等は皆、等位の韻形に由りて然るものにして、其の韻形は、清の康煕、乾隆の鴻儒江永、戴震等の「一二三四等列、一等洪大、二等次大、三四等俱細而四尤細」といへる説によりて知らるることとなるが、其の説の據るに足るべきことは、我が延曆以上に於いて、アヤ二行のエに分別あると暗合するものありて、歸するところ、俱に發音點に於ける口形の細大にあるな2/3り。(第十一章、第十四章)

第五、内外轉の別と十六攝目の用 七音略、韻鏡等の諸音圖は内外に分つを例とすれど、音圖により間〃異同あるが故に、其の分別の理由を知ること能はず。爲めに我が國にては勿論、支那宋以來の音韻家にして、未だ曾て之に明解を下ししものあるを聞かず。唯切韻指掌等に、齒音以外に於いて第二等の有字無字に由て、之を分つことを云へれど、嘗みに七音略、韻鏡等に就いて見るに合はざるものあり。是に於いて、特に七音略其の他の諸音圖を通觀して、其の異同を比較せる結果、内外轉は、字音の頭尾の子音を省ける體韻(母音)を呼ぶ口形の分別にして、即ちオ、ウ、イは口を撮めて發し、一等より四等に向つて連呼するときは、恰も内方に轉ずるがごとく感ずるが故に、之を内轉といひ、ア、エは口を張り、連呼するときは、さながら外方に轉ずるに似たるが故に、之を外轉と名けたるものなることを知るに至れり。隨ひて毎轉圖端に記入せる十六攝目の用を明かにすることを得たり。そは右の如く、發音口形もて定められたる内轉に見えたる攝目を撿すれば、通、止、遇、臻、果(唐宋以後オ韻なり)、流、深、曾の八にして、體韻は撮口呼、外轉に記されたるは宕、江、梗、効、假、蟹、山、咸の八にして、體韻は張口呼なり、而して音尾は攝目と同じくして、内外同音尾相對せり。されば若し音圖使用者にして、自ら識れる文字若くは音韻の何れの轉に屬せるか、又は屬すべきかを知らんとするに、先づ内外に注意し、體韻と音尾3/4とを同じくする攝目を探らば、容易に其の處を知るべし〔。〕是にて内外轉の別と攝目の用との、音圖上缺く可からざるものあることを覺るべきなり。(第十三章)

以上の數項は、實に本篇の骨髓たり。即ち是れ有るが爲めに、本篇は成れりといふも可なり。讀者之を繙かんとせば、必ず先づ此の數項を一讀過し、聊かにても所見を異にするもののあらば、直ちに反駁せんの意氣を以て、宜しく各章を熟讀すべし。是著者が切に讀者に請ひて止まざるところなり。

大正十三年七月                  韻鏡考著者識4/

 【國語譯】

韻鏡考

著者所希望重視關於讀音的數點要項

第一、音圖成立的時代。宋代以來,一般認為音圖出現於唐末以後。本編認為,宋末之《韻鏡》繼承自隋唐以上的切韻圖。據《悉曇藏》所引唐初武玄之《韻詮》一段,即可以推測當時已有與《韻鏡》同一形式的音圖。(第四章、第五章)

第二、反切製作的時代。隋唐以來,一般認為反切為魏人孫炎所作。本編認為,反切之製作在於東漢譯經之時。自《後漢書・和帝紀》李賢注所引許慎之反切一事而觀,《經典釋文》所舉漢人的反切未必全爲後人所託名僞造。(第十五章)

第三、二百六韻的性質。隋初之定二百六韻,在於使南北地方詩賦押韻一致。於此之上,盡力析究兩者的相通之處,多設同用,以分別四聲為主。其中的一個或數個韻(韻頭),對應實際發音上區分開合、四等的「真韻」。以此,則假使在僅限於不破壞聲調的情況下,辭句的押韻可變得相當自在。故應可知,二百六韻是表現於音圖的等位上的韻數,而非實際發音的全部韻數。(第十一章)

第四、等位的解釋。《韻鏡》等音圖,採取與五十音圖相類的縱行横列模式,即縱向排列同輔音(頭音)字、横向排列同韻字,此皆是模倣悉曇文字而爲之。然則此中之横列,並非著者之一假説,每列皆應代表各異的韻。細説的部分到本文再論,在此先簡單提及。《廣韻》入聲一屋中有鏃(作木切)、粥(之六切)、縬(側六切)、蹙(子六切)四個小韻(音頭)。其反切上字皆爲齒音的清音,然作、子與則、臧、祖等僅用於精母一等、四等的反切,側與阻、仄、莊等僅用於莊(照(一))母第二等的反切,之與章、征、少等僅用於章(照(二))母第三等的反切。其餘清濁齒音、諸轉與此同例。如此二三四等之反切所見上字雖異而下字同者,或許是由於韻形會隨上字發聲的形態而稍變。此等例與喻母中于、王、羽等爲上字的云(喻(一))母,無論下字爲何皆歸於三等;而羊、以、悦等爲上字的以(喻(二))母字徑歸於四等之定法同例。此等皆是因等位上的韻形不同所造成。其韻形,由清康乾間的鴻儒江永、戴震等人「一二三四等列、一等洪大、二等次大、三四等俱細而四尤細」之説可知。吾國於延曆以上,ア(零聲母)、ヤ(半元音j聲母)二行之エ(e)相別,與之暗合,足可爲其説之依據。究其指歸,二者皆於發音時口形有細與大之別。(第十一章、第十四章)

第五、内外轉之別與十六攝之用。《七音略》、《韻鏡》等各家韻圖雖都以分別内外轉為例,然韻圖間大同小異,其分別内外之理由未能知之。故吾國自不待言,即使是中國自宋以來的音韻學家,也未曾聞有能明確解釋之者。唯《切韻指掌圖》等中云,内外轉以齒音以外第二等有字無字爲分別*1,然試觀《七音略》、《韻鏡》而與此説齟齬也。關於此一點,尤其是通觀《七音略》等諸家韻圖,比較其異同之後可知,内外轉之分別即在於指除去字音頭尾字音之「體韻」(主元音)發音時口形。即o、u、i爲閉元音,自一等至四等連續發音時,恰能感到向内轉之口形,故稱之為内轉;a、e則爲開口音,連呼時感到向外轉,故名爲外轉可知也。因此每一轉圖起頭所記之十六攝目之用可明也。即如右所述,内外轉依發音時之口形而定,檢視内轉中之攝目,有通、止、遇、臻、果(唐宋以後爲o韻)、流、深、曾八攝,主元音爲閉元音,而外轉之攝目,有宕、江、梗、効、假、蟹、山、咸八攝,主元音為開元音,且韻尾與攝目一樣,内外二轉相對、各有一套韻尾。以此,若韻圖使用者欲知己所識之字或所知之音屬於何轉、或應當屬於何轉,則先注意其内外,爾後尋找主元音與韻尾相同的攝目,便容易知其所處。以此可見,内外轉之別與攝目之用,是為韻圖上不可或缺之一部。 

以上數項,實爲本篇之精髓。即可謂因有此而本篇可成。讀者欲開卷則當先通讀此數項,若有所異見,則當徑以反駁之意氣而細讀各章。著者之懇請於讀者,止此而已。

大正十三年(一九二四)七月            《韻鏡考》著者識

*1:文雄〈磨光韻鏡序〉:「内外轉者《切韻指掌》云,内轉者,取唇舌牙喉四音,更無第二等字,唯齒音方具足。外轉者,五音四等都具足。舊圖以通止遇果宕曾流深八字括内轉六十七韻,江蟹臻山效假梗咸八字括外轉一百三十九韻。