以出齋 | Itshoh Tse

禮以行之 孫以出之 信以成之

【韻鏡考】第五章 韻鏡の原型は夙に隋代に成れり

【本文】

    第五章 韻鏡の原型は夙に隋代に成れり

若夫、一篇の字書、或は韻書を編成せんとするに方り、一に唯、既成の樣式體裁を摸倣し、墨守するものにあらざる限り、文字音韻を蒐集して、之を適當に分類序列するに【韻鏡内外轉其の他の次第と切韻の二百六韻との一致】は、其の人と其の場合とによりて、必ず特異の思索考案に出づるものなることは言ふまでも無く、殊に新たに音韻の圖を構成組織するが如きは、一層の苦心を要すべきものと爲す。既に然りとせば。嘗みに韻鏡の構成に注意すべし。内外の分別、開合の對比、四聲等位の差異等、其の關係連絡、極めて錯綜紛糾せるにも拘らず、第一轉より第四十三轉に涉りて、内外十六攝目の區分を紊さず、二百六の韻頭を排列せるが如き、極めて次序整然たるは、創製の苦心惨憺たりし、當時の情況、推測するに餘りありといふべきなり。是れ、構圖上の排列次第、總べて皆、特殊の思索考案の結果に外なら17/18【唐寫唐韻】ざるに非ずや。こゝに近時、清國蔣斧といふが、刊行せる唐寫唐韻といふを得て披き【唐寫唐韻は即ち切韻なり】見るに、去聲の一部と入聲の全部なるが、其の跋に陸法言の、切韻の長孫訥言が初注の本なることを考證せり。實に毎音頭字下に、増加の數を注し、而も廣韻の首に舉げたる訥言が序に、改めたりと云へる字の、未だ改らざるにて、蔣氏の考證の適確なるを知るに足る可し。而して廣韻を取りて之に較べ見るときは、唐韻、廣韻、次を逐いて増加せる文字も大略分別せらるゝことなるが、今、此の切韻の韻頭、及び韻頭下の音頭の次第を韻鏡上の排列に較べ見れば、大體に於いて一致せる處多きに居るのみならず、第一轉より第十一轉までは、通江止の攝目の次第に準ひて、東冬鍾江支脂之微魚は、全く相一致するものあり。又入聲一屋下なる音韻字は、韻鏡上の等位に當つるに、二三四の諸等は錯綜したれど、一等の文字は先づ之を引舉したる後に於い【切韻屋韻下の音頭の次第と韻鏡第一轉入聲段との比較】て、始めて二三等の文字に及ぼすこと、此の屋韻下の音頭次第と、韻鏡第一轉入聲段とを對比すること左の如し

  初唐切韻入聲一屋頭韻*1[...](六禿他谷反四18/19七速;脣音清濁18/19舌音清;卅八蹙子六反四加一19/20卅九肭;喉音濁19/20喉音清濁)

此の如く、同一の屋韻に屬する文字に於いて、第一等と二三四の諸等とに判然分別せられ、且つ錯綜せる他等といへども其の反切の上下字の性質によりて、韻鏡の歸字と同一の列位に立つべく定められたるものは、是等は皆、切韻、當時の口舌上の音に具はれるに由るものともの見て有るべきにあらず。されば、前にいへる韻頭の次【音圖の切韻編集當時のものなるべき推測】第と等位の一致とを併せて考ふれば、切韻編集當時即ち隋代に於いて、一音圖の存在せしことを想はざるを得ず。殊に唐初に於いて、音韻縱横圖の存在せしことは、前章に於いて、既に證明せる所なり。これ有りとせば、其の音圖は、專ら、切韻編集の爲に、陸法言等が徒によりて創製せられたりしものと見て可なるが如し尚前章末に舉げたる韻書に伴へる清濁音、四聲韻、切韻圖等いづれも一巻なるより推測するときは、或は是等の中には、魏晋以來傳はれる音韻縱横圖もありけるより、陸氏等は之に準じて隋韻を定めたるものならん。但し右の韻書どもは、夙に佚して傳はらざる今日に在りては、陸氏の徒の創製せしものと見て有るべきなり。20/

 

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譯者所藏寬永十八年本《韻鏡》内轉第一開

 【國語譯】

第五章 《韻鏡》原形於隋代既已成之

若夫欲成一部字書或韻書,唯欲以不類既有之體、不囿既有之形,則當隨其人其事,於文字音韻之蒐集、及其分類排列,各出心裁,此不言自明。而創其音韻圖式之構成組織,尚費苦心。既知此,而視彼《韻鏡》之構成,内外之分別、開合之對立、四等之差異等,其關係聯絡、極其錯綜而複雜。而其亙四十三轉,内外十六攝目之區分不紊,二百六韻之排列井然,更爲慘淡經營之創製,當時之狀足可推知也。是其構圖之排列次第,其全體莫非特意之思索考案而成。近來清人蔣斧得唐寫本《唐韻》殘卷而覽之,中有去聲一部及入聲之全部,其跋言考證得此為陸法言《切韻》之長孫訥言初注本。

確實每小韻首字下注增字數,且《廣韻》前部所舉長孫訥言序中稱改之字未改,以此足知蔣氏考證之確也。*2且取《廣韻》與之對觀,則由《唐韻》而《廣韻》逐次所增之字大略可分。今覽此《切韻》之韻目,及韻目下小韻之次第,與《韻鏡》之相較,則不僅其整體排布多有一致,且其第一轉至第十一轉,即通江止攝的順序全然一致,皆爲東冬鍾江支脂之微魚。又入聲一屋下之小韻,與《韻鏡》二三四等相當者雖交錯排列,但先舉者皆爲一等韻,之後始及二三等字。【蔣斧本《切韻》屋韻下小韻次第與《韻鏡》第一轉入聲段之比較】此屋韻下的小韻順序與《韻鏡》第一轉入聲(屋)之部分對比如下。(見文末)

如此,同屬於屋韻之字,一等與二三四諸等判然分別,且雖爲錯綜之他等,亦可以反切上下字之性質推斷其《韻鏡》歸字,由此可知《切韻》所依非當時實際之讀音。【韻圖當與《切韻》編集同時之推測】如此,考前述韻目之次第與等位之一致,則或可得知《切韻》編輯當時,即隋代時已有一韻圖。尤於唐初,音韻縱横圖之存在已於前章得證。既有此,則可見其韻圖由陸法言之輩專爲《切韻》編集而創製。又如前章末所舉《見在書目》中與韻書同出之《清濁音》、《四聲韻》、《切韻圖》等皆爲一卷,由此推測其中或有魏晉以來所流傳之音韻縱横圖,而陸氏又準之定爲隋韻。然前列之韻書等,夙遭亡佚,今日不傳,視之以爲陸氏之輩所創製亦可也。

 

【切韻殘卷入聲一屋頭韻】

一 屋(烏谷反二)

二 獨(徒谷反十八加二)

三 穀(古鹿反六)

四 哭(空谷反三)

五 縠(胡谷□□加三)

六 禿(他谷反四)

七 速(桑谷反九加四)

八 豰(丁木反[ ])

九 祿(盧谷反廿三加五)

十 族(作木反三加一)

十一鏃(作木反二加一)

十二瘯(千木反三)

十三暴(告木反三)(廣韻蒲木反とあり。告、恐らく蒲の誤ならん。)

〔國語:《廣韻》作蒲木反。告恐爲蒲之誤。〕

十四朴(普木反五加三)

十五卜(博木反八加二)

十六木(莫木反六)

以上一等に列す〔以上列於一等〕

十七福(方六反十加一)

十八伏(房六反十七加六)

十九縮(所六反八加一)

二十六(力竹反十一)

廿一逐(直六反六)

廿二菊(居菊反十一加三)

廿三麴(駈菊反二)

廿四熟(殊六反五)

廿五俶(昌六反四加一)

廿六育(余六反十二加三)

廿七𩣽(渠竹反六加□)

廿八鼀(七宿反二)

廿九粥([ ]反四)

三十肉(如六反三)

卅一叔(式竹反□加一)

卅二蓄(許六反六加二也)

卅三竹(張六反五加一)

卅四珿(初六□□加二)

卅五縬(則六反一)

卅六蝮(芳福反五加二)

卅七郁(於六反十四加四)

卅八蹙(子六反四加一)

卅九肭(女六反四加一)

四十肅(息逐反十二加四)

四十一目(莫六反七加一)

四十二囿(于六反一)

四十三稸(田六反三加二)

以上二三等に列す〔以上列於二三等〕

【《韻鏡》屋韻】

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*1:因行數過多,不便閱覽,與附表一同置於譯文後。以下部分亦不譯。

*2:蔣斧〈唐寫本唐均記〉(《唐寫本唐均》、上海國粹學報館、一九〇八):「又按長孫訥言〈切均序〉云:『見炙从肉,莫究厥由。輒意形聲,固當從夕。及其晤矣,彼乃乖斯。』是《切均》舊本炙字从夕,今《廣均》炙字从肉,注云『《説文》曰:炮肉也。从肉在火上。』即是長孫氏改正之本也。而此本則正从夕,且注云『《説文》从肉』,則此本尚是長孫氏初注之本矣。」