以出齋 | Itshoh Tse

禮以行之 孫以出之 信以成之

【韻鏡考】第三章 韻鏡の歸字の時代の觀察

【本文】

第三章 韻鏡の歸字の時代の觀察

凡そ、今の世に在りて、隋唐時代の字音の全象を略〃模索し得べきは、廣韻の外無く、宋9/10【廣韻の唐韻との關係】代の字音の審に知らるゝものは、集韻に如くは無し。廣韻は、宋初に於いて、陳彭年等が唐韻を校正増補せるものにして、其の増加せるものは毎部末に在りしものゝ如く、少しく注意せんには大略其の分解を判別するを得べし。されば其の増加字中の音韻の重複のものをだに除かば其の音種は、略〃唐韻と一致せりと見て可なるべし。【集韻】集韻は、廣韻の、宋代の韻書としては、十分ならざるより、祥符中に翰林学士丁度等に命じて編集せしめたるを、治平中、司馬光によりて完成せるなり。

【韻鏡の歸字の宋代の時音なる確證】廣韻、集韻、同じく宋代のものなれども、一は唐代の音を基礎とし、一は專ら宋代の時音なるの別あり。是に於いて韻鏡(宋板に最近しといふ享祿の覆刻なる元祿版)を取りて之を一檢するに、第一【廣韻集韻雄字反切の相違】轉、喉音、濁、平聲、三等に雄字あり。雄字は、漢音イユウにして廣韻羽弓切なれば、當に次行なる清濁即ち喩母の下に在るべきなり。然るにかく喉音の濁即ちガ行の音なる匣母の下に在るは、何故にか、從來の韻鏡家には、之を以て匣喩往來の例を示せるなりとの説あれど、今、集韻一東の部を檢するに雄字は、胡弓切即ち匣母の音なり。然ら【廣韻集韻脣音開合の異同】ば、韻鏡に於いて、匣母下に在ると一致せるなり。韻鏡の歸字中、かくの如く廣韻と異にして、宋音なる集韻と一致せるは、自ら是等歸字の、正に宋代時音たるを證する一端には非るか。第四轉、脣音、三等に陂縻の二字を列せり。廣韻に徵するに、陂は彼爲切、縻は靡爲切にして、反切の下字よりすれば、合轉なるを知る。然らば、當に合轉なる第五轉に入るべきに、かく開轉なる第四轉に在るは何故にか。仍て集韻を檢すれば、陂10/11は班糜切、縻は忙皮切にして並びに開轉の音なり。然らば是等の歸字も亦同じく、唐代の時音には非るが如し。第二轉、舌音、清、去聲、一等の湩字、第十轉、牙音、濁、去聲、三等の鞼字等皆廣韻に見當らず。乃ち集韻を檢するに、二宋の部に湩、冬宋切、八未の部に鞼、巨畏切あり。是等は皆集韻ならずば、他の宋代當時の韻書いによりて、其の等位に充てたるものなるを知るべし。又韻鏡には脣音四等を以て重脣音の定位と爲す。然るに廣韻に據れば、平聲の飊は甫遙切、上聲の褾は方小切にして、反切の上字は皆輕脣音に屬せり。是韻鏡第四等の重脣音の定位たるに合はず。若し韻鏡歸字の廣韻に從へるものならんには、須らく第三等に列すべくして、其の然らざるは、集韻に是等の文字の反切の上字は、各重脣音なる卑毗邊弭等を用ゐたればなり。此の如く前節の數例と合せて、僅かに其の一隅を舉げたるのみなれど、韻鏡の歸字は、全く宋代の時音によりて記入せられたるを證するに足るべし。

廣韻は既に云へるが如く、宋初に於いて唐韻に増加せしにて、音頭を取りて音圖に【清陳澧切韻考】配當せば、大體隋唐時代の音韻を概知すべきなり。但し清陳澧が切韻考に徐鉉等が説文を校するに、以唐韻音切といへるに、豐の音に敷戎切とあるを以て、廣韻の諸本皆敷空切とあるは改むべしといへるに就き、今我が國古書に引ける唐韻豐字【類聚名義抄豐字の反切】の反切を尋ね見るに、唐韻に據りたるものと思はるゝ類聚名義抄に豐字、及び廣韻に之と同音と爲せる澧㠦の諸字、共に敷隆切とし、又同じく唐韻に據れる東宮切韻11/12の、倭漢年號字抄(前田家藏本寫)豐字下に引かれたるも、敷隆反とあり。然らば、我が國に傳れる唐韻は敷隆反にして、徐鉉説文の反切下字戎とは頭音を異にすれども、共に三等なるは全く同韻なれば、唐韻の豐字の三等韻なりしは更に疑ふべからず。然るに廣韻に一等の下字なる敷空切なるは、或は宋音に改めたるにもやと思へど、集韻には敷弓切とありて、其の下字一等なれば、全く唐韻と同音同韻なり。唐韻、集韻共に同音【廣韻の反切の誤】同韻なりとすれば、陳澧の説の如く、廣韻の誤と斷ずるの外無きなり。是にて觀れば、見せざる以上は、唐韻の完本、世に顯はるゝまでは、廣韻に據りて滿足すべきなり。

【韻鏡を以て宋代のものなりと爲せる上にて從來諸家の説の異なる所以を評す】前段の如く一たび其の歸字にして、既に宋代の時音なることの證せらるゝ以上は、縱令、韻鏡に如何なる幽旨妙義あるにもせよ、其の直接の効用は、僅かに宋一代に限られて、更に異代他方に及ぼす力なきものと爲さゞる可からずかく言はゞ從來之を革命的感想を以て之を逆へしむる恐あるも、亦止むを得ざるところなり。さりながら、韻鏡家といへども、元來、韻鏡を以て全甌完璧として遇したるものゝみにもあらず。文雄が磨光の如き、歸字を増減し、開合を改めたるところ少からず。太田全齋が漢呉音圖の如き、歸字は勿論、題目をだへ變ぜしものあり。然れども獨、三十六字母、二百六韻、等位の如き、依然其の位地を動かさゞるは、こは、本來、韻鏡に於いて、最も貴重12/13なる者は此の部分の構造に存すればなり。されば著者がかくの如く、此の歸字の用を以て宋代に限れりと爲して之を斥けんとすともさばかり、深く世の韻鏡家の非難を被る恐なきのみならず、著者が次章に於いて試みんとす其の構圖の原型は何れの時代より、さる形を成せるにかの考證に對しては、必ず多少の興味あらんと信ずるなり。

 【國語譯】

第三章 《韻鏡》歸字時代之觀察

凡今存世文獻中,可以略探隋唐字音之全體者,無外乎《廣韻》;可以審知宋代字音者,無若《集韻》。【《廣韻》與《唐韻》之關係】宋初陳彭年校訂增補《唐韻》而成《廣韻》。其增加之部分大約皆在每一部的末尾,稍加注意便可明判其大略。然則雖其增字中有音韻重複者,除其重複之類則大體與《唐韻》一致,其貌可窺也。【《集韻》】而《廣韻》作爲宋一代之韻書,不爲充足也,故大中祥符年間*1,由翰林學士丁度奉命編寫。治平年間(三年,一〇六六),由司馬光完成。

【《韻鏡》歸字爲宋代時音之確證】雖《廣韻》、《集韻》同爲宋代之物,然二者有別,一以唐代之音爲基礎,一專宋代時音。【《廣韻》、《集韻》「雄」字反切之異】依此,取《韻鏡》(元祿版,爲與宋版最近的享祿本之翻刻*2)檢之,則第一轉、喉音、濁、平聲、三等有「雄」字。「雄」,漢音ijū(tɕyŋ),《廣韻》作羽弓切,應當在次行清濁、即喻母之下。然實在喉音濁、即匣母(相當於ガ行[g~ŋ])下。此何故耶?從來之韻鏡家皆以爲匣喻往來之例説之,今檢《集韻》一東部,「雄」字胡弓切、即匣母也。然則與《韻鏡》中居於匣母下一致也。【《廣韻》、《集韻》脣音開合的異同】《韻鏡》歸字中,如此與《廣韻》爲異、與宋音之《集韻》一同者,自非此等歸字正是宋代時音證之一端歟。第四轉、脣音、三等列陂縻二字。徵《廣韻》,則陂爲彼爲切、縻爲靡爲切。由反切下字可知當歸入合口之轉。然則本當歸爲合口第五轉,實則居於開口第四轉,何故耶。由之一檢《集韻》可知、陂爲班糜切、縻爲忙皮切,咸屬開口之轉。然則此等之歸字亦同之,似非唐代之時音也。第二轉、舌音、清、去聲、一等之「湩」(國語音ㄉㄨㄥ去聲)字,第十轉、牙音、濁、去聲、三等「鞼」(國語音ㄍㄨㄟ去聲)等皆不見《廣韻》。遂檢《集韻》,則二宋有湩、冬宋切,八未有鞼、巨畏切。此等皆若非《集韻》,即依他宋代當時之韻書,以填其等位,故可知也。又《韻鏡》以脣音四等位爲重唇。然《廣韻》「飊」平聲、甫遙切,「褾」上聲、方小切(國語音ㄅㄧㄠ上聲)。反切上字皆屬輕脣音,不合於《韻鏡》第四等本應歸重脣音之地位。若《韻鏡》歸字遵於《廣韻》須列於第三等,其非然者,蓋以《集韻》此等數字,皆用之以重脣音卑、毗、邊、弭之等爲反切上字。如此則與前揭數例相契。此雖僅舉其一隅,而足證《韻鏡》歸字,悉依宋代之時音而記之也。

一如前述,《廣韻》爲宋初增加《唐韻》而成者。取其小韻填入韻圖,則大約可概曉隋唐時代之音韻。但清陳澧《切韻考》稱「徐鉉等校《説文》云以唐韻音切爲定」(北大本、卷一、四葉表)、故徐鉉以「豐」爲敷戎切,《廣韻》諸本皆作「敷空切」是當該。*3【《類聚名義抄》「豐」字之反切】今就之查見我國古書所引《唐韻》「豐」字反切。《類聚名義抄》一般以爲依據《唐韻》。其中「豐」字,以及《廣韻》中與之同音的「灃」「㠦」等字,皆作敷隆切。*4又同據《唐韻》之《東宮切韻》「倭漢年號字抄」(前田家藏本寫)「豐」字下所引亦爲敷隆反。然則,傳於吾國之《唐韻》作敷隆反,與徐鉉《説文》反切下字戎,雖聲母不同,其二者皆三等而完全同韻,《唐韻》「豐」字歸三等韻更無疑也。然則《廣韻》下字一等之敷空切,或以爲據宋音所改者,實檢《集韻》作敷弓切,其下字爲一等,與《唐韻》同音同韻。【《廣韻》反切之誤】《唐韻》、《集韻》皆為同音同韻,則如陳澧所言,是斷爲《廣韻》之誤也。由是觀之,則若非得覽原本,《唐韻》之完本顯於世之前,且當以據《廣韻》亦足也。

【以《韻鏡》爲宋代之音而評從來諸家説之所以異】如前一段所言,既已證其歸字,循宋代之時音,則縱令《韻鏡》有如何之幽旨妙義,其直接之作用亦僅限於有宋一代,遑論涉及異代他方也。如此之言,則於從來之説爲革命的,然亦不免有以愚爲叛逆之虞。然而,則即使爲韻鏡家,此前亦非僅以《韻鏡》爲十全十美。如文雄《磨光韻鏡》,亦有不少增減歸字,更改開合之處。如太田全齋《漢吳音圖》,勿論歸字,甚至易改題名。雖然,唯其三十六字母、二百六韻、等位之類,依然不動其地位。然《韻鏡》中至關重要者,本當存於此等部分構造之中。故而若著者前所言之、以此書歸字之用限於宋代之論説,自有斥之者,亦恐深被當世韻鏡家之非難也。而著者於次章,將試論其構圖的原型起於何時,並就其形成作一考證,相信諸位必多少懷有些興趣了。

*1:應爲仁宗景祐四年(一〇三七),大中祥符爲《廣韻》頒行時年號。

*2:譯者未查所謂元祿本爲何本。

*3:《切韻考》(北大本、卷四、三葉表裏)一東「豐」下云:「《廣韻》諸本皆敷空切,今從徐鉉《説文音》及徐鍇《説文篆韻譜》。《玉篇》芳馮切、《集韻》敷馮切。馮戎韻同,類可證戎字是也。」

*4:國立國會圖書館提供網路查讀。「連結」